専門家向け解説記事
股関節は、私たちの身体の中心近くに位置し、立位や歩行といった基本的な動作から、走る・跳ぶなどのダイナミックな動きまで、あらゆる活動において極めて重要な役割を担っています。その構造と機能は、体幹の安定性と下肢の運動性を繋ぐ要(かなめ)であり、ここに問題が生じると腰痛、膝痛、足部の問題、さらにはスポーツパフォーマンスの低下など、様々な影響が波及します。
したがって、理学療法士(PT)、セラピスト、トレーナーにとって、股関節の機能を正確に評価するスキルは、クライアントの問題の根本原因を特定し、効果的なアプローチを立案するための基礎となります。
今回は、股関節評価の中でも特に基本となる関節可動域(Range of Motion: ROM)と筋力に焦点を当て、若手専門家が押さえておくべき評価のポイントと考え方を、日本IASTM筋膜リリース協会が専門的に解説します。
なぜ股関節評価が重要なのか?
- 腰痛との関連: 股関節の可動域制限(特に伸展・内旋)や筋力低下(特に伸展・外転筋)は、代償的な腰椎の動きを生み出し、腰痛の大きな原因となり得ます。
- 膝・足部への影響: 股関節の機能不全(例:外転筋力低下による骨盤の不安定化、内旋可動域制限)は、Knee-inなどの下肢アライメント不良を引き起こし、膝関節や足部へのメカニカルストレスを増大させます。
- パフォーマンスへの影響: 股関節は大きなパワーを生み出す関節です。可動域や筋機能の低下は、歩行効率の低下、走行速度の減少、ジャンプ力の低下などに直結します。
- 変性疾患のリスク: 股関節機能の低下は、長期的には変形性股関節症などのリスクを高める可能性があります。
股関節 ROM(関節可動域)評価のポイント
ROM評価では、単に角度を測るだけでなく、動きの質、最終域感(End-feel)、左右差、代償動作の有無を観察することが重要です。
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主要な評価項目と意義:
- 屈曲 (Flexion):
- 方法: 仰臥位で膝を曲げながら股関節を屈曲。正常参考値は約120°。膝伸展位で行うとハムストリングスの影響も評価(SLR)。
- 制限の意義: 後方関節包の硬さ、殿筋群の短縮、インピンジメント(FAI: 大腿骨寛骨臼インピンジメント)の可能性など。
- 伸展 (Extension):
- 方法: 腹臥位または側臥位で股関節を伸展。正常参考値は約20°。腰椎の伸展で代償しないよう骨盤を固定。Thomas Testは股関節屈筋群の短縮評価に有用。
- 制限の意義: 股関節屈筋群(腸腰筋、大腿直筋、大腿筋膜張筋など)の短縮、前方関節包の硬さ。腰椎前弯増強の原因にも。
- 外転 (Abduction):
- 方法: 仰臥位または側臥位で股関節を外転。正常参考値は約45°。骨盤の側方傾斜による代償に注意。Ober's Testは腸脛靭帯/大腿筋膜張筋の短縮評価に用いられる。
- 制限の意義: 股関節内転筋群の短縮、恥骨筋の短縮、関節包の問題など。
- 内転 (Adduction):
- 方法: 仰臥位または側臥位で股関節を内転。正常参考値は約20-30°。骨盤の挙上で代償しやすい。
- 制限の意義: 股関節外転筋群(中殿筋後部線維など)の短縮(比較的まれ)、関節包の問題など。
- 内旋 (Internal Rotation: IR):
- 方法: 腹臥位または座位(股・膝90°屈曲位)で評価。正常参考値は約35-45°。左右差が出やすい。FADIR Test (屈曲・内転・内旋) はFAIの評価に用いられる。
- 制限の意義: 後方関節包や外旋筋群(梨状筋など)の短縮。腰痛や仙腸関節痛、膝痛との関連も深い。
- 外旋 (External Rotation: ER):
- 方法: 腹臥位または座位(股・膝90°屈曲位)で評価。正常参考値は約45°。FABER(Patrick's) Test (屈曲・外転・外旋) は股関節や仙腸関節の問題のスクリーニングに用いられる。
- 制限の意義: 前方関節包や内旋筋群(小殿筋前部線維など)の短縮。
- 屈曲 (Flexion):
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測定のコツ: ゴニオメーターの正確な使用、適切な固定、最終域感の評価、痛みの有無と部位の確認、そして必ず左右差を比較することが重要です。
股関節 筋力評価のポイント (MMTの基礎)
筋力評価は、不安定性や代償動作の原因となる筋力低下や左右差を特定するのに役立ちます。ここでは主要な筋群とMMTの基本的な考え方に触れます。(正確なMMTグレード判定には熟練が必要です)
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主要な評価筋群と機能的重要性:
- 屈筋群 (Iliopsoas, Rectus Femoris, etc.): 脚を持ち上げる動作、歩行時の遊脚相。弱化すると歩行効率低下や代償動作(体幹の過剰屈曲など)に繋がる。
- 伸筋群 (Gluteus Maximus, Hamstrings): 立ち上がり、歩行・走行時の推進力、体幹の安定化。殿筋群の弱化は特に腰痛や膝痛との関連が深い。
- 外転筋群 (Gluteus Medius/Minimus, TFL): **立脚期の骨盤安定化に極めて重要。**弱化はトレンデレンブルグ徴候、Knee-in、腸脛靭帯炎などの原因となる。
- 内転筋群 (Adductor group): 骨盤の安定化、方向転換時のコントロール。肉離れ(グロインペイン)が起こりやすい部位でもある。
- 外旋筋群 (Deep 6 Rotators, Gluteus Max, etc.): 大腿骨の回旋コントロール、立脚期の安定性。弱化はKnee-inや足部回内との関連も。
- 内旋筋群 (Gluteus Med/Min anterior fibers, TFL, etc.): 歩行周期などでの役割。単独での弱化評価より、外旋筋とのバランスや、短縮・過緊張が問題となることが多い。
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評価のポイント: 標準的なMMT肢位と抵抗のかけ方を理解し、代償動作が出ないように注意しながら評価します。グレード3(重力下で全可動域動かせる)を基準に、抵抗を加えてグレード4、5を判定します。重要なのはグレードの数字だけでなく、左右差、筋収縮の質、疲労しやすさなども観察することです。
ROMと筋力評価の統合:仮説を立てる
評価で得られたROM制限と筋力低下の情報を組み合わせることで、クライアントの問題に対する仮説がより具体的になります。
- 例: 股関節伸展ROM制限(Thomas test陽性)があり、MMTで殿筋群の弱化が見られる場合、「股関節屈筋の短縮による相反抑制で殿筋が弱化し(Jandaの交差性症候群の概念)、腰椎の過伸展で股関節伸展を代償しているのでは?」といった仮説が立てられます。
- この仮説に基づき、さらなる評価(触診、動作分析など)やアプローチ(屈筋のリリース、殿筋の活性化・強化、モーターコントロール練習)へと進みます。
筋膜の視点とIASTMの可能性
股関節周囲の機能不全には、筋膜の高密度化や滑走不全が大きく関与していることが多々あります。
- 大腿筋膜張筋/腸脛靭帯、内転筋群間、殿筋群、ハムストリングスなど、筋間や筋と筋膜間の滑走性が低下すると、ROM制限や筋の出力低下、痛みを引き起こす可能性があります。
- 腰部の筋膜(胸腰筋膜)は殿筋群や広背筋と連結しており、体幹と股関節の機能に相互に影響します。
触診によってこれらの筋膜性の問題を評価し、必要に応じて筋膜リリース(徒手またはIASTMなど)を行うことで、組織の柔軟性や滑走性を改善し、その後の運動療法やモーターコントロール練習の効果を高めることが期待できます。IASTMは、特に深層の制限や高密度化した結合組織へのアプローチにおいて、セラピストの手を補助し、効率的な介入を可能にするツールとなり得ます。
まとめ:股関節評価スキルを磨き、臨床能力を高める
股関節のROMと筋力の評価は、下肢や体幹に関わる多くの問題の原因を探るための基本中の基本です。今回紹介したポイントを参考に、正確な測定・評価手技を習得し、その結果を他の評価所見と統合して解釈する能力を磨いてください。
しかし、教科書や記事で知識を得るだけでは、真の評価スキルは身につきません。正確なゴニオメーターの使い方、信頼性のあるMMTの実施、微妙な最終域感や筋収縮の質を感じ取る感覚、そして評価結果を臨床推論に繋げる思考力は、経験豊富な指導者の下での実践的なトレーニングを通じて培われます。
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日本IASTM筋膜リリース協会では、股関節を含む下肢の評価とアプローチに関する専門的なセミナーを開催しています。
- 股関節・骨盤帯の機能解剖とバイオメカニクスの深化
- 高精度なROM測定とMMTの実践テクニック
- 関連する特殊テストの習得と解釈
- 筋膜の繋がりを考慮した評価とアプローチ戦略
- IASTMを含む、効果的な軟部組織リリース技術(股関節編)
- 評価に基づいた段階的な運動療法プログレッション
これらの内容を通じて、あなたの股関節に対する評価・アプローチスキルを飛躍的に向上させることを目指します。自信を持ってクライアントに向き合える専門家になるために、ぜひ当協会のセミナーをご活用ください。
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